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こんにちは! コパです。
母が亡くなるまでの最後の数か月、私は仕事を辞め病室に寝泊まりしていました。
「必ず病気を治す」と辛い治療にも耐えていた母でしたが、少しずつ気力を失っているように見えました。
家に置いてある指輪などを持ってきてほしいと言われ病室に持っていくと、ひとつひとつ私に「これはお父さんから貰ったもので、これはあなたが生まれた時に買ったもので・・・」と説明してくれました。
別の日には写真を持ってくるように言われ、たくさんの写真の中から「この写真が一番写りがいいかな・・」と遠回しに遺影にする写真を私に伝えているようでした。
寝たきりになる前、まだなんとか外出できる時には、「あなたもそろそろお葬式に参加することも増えるだろうから」と喪服を買ってくれました。
母はもう覚悟を決めているのだなとわかっていたので、試着室で涙が止まらなくなったことを今でも憶えています。
母がいなくなるという恐怖で心に余裕がなかった私は、母から諦めの言葉やお別れの言葉を聞くことが怖くて、よそよそしい態度をとっていた気がします。
一緒にいられる時間はもうすぐ終わるというのに・・・。
「少し話しよう」と改めて言われるとどんな顔をすればいいのかわからなくなり、忙しいふりをして逃げていました。
結局母が話したかったことは聞いてあげられないまま、母は亡くなりました。
毎日24時間一緒にいたのに・・・。
そばにいたくてもいられない人はたくさんいるのに・・・。
私が「ありがとう」と言えたのは母が意識をなくす寸前でした。
母が心を決めた時に私も強い気持ちを持っていれば、もっと母の話を聞くこともできたし安心させることもできたはずです。
20年近く経った今でも後悔は消えません。
母は家族の心配ばかりしていたので、亡くなった後の現実的な話もしたかったのかもしれません。
母がフォローすることでそれまで全く気付かなかった父の金銭のだらしなさも、母に聞いていればその後の生活も変わっていたかなと思います。
「病床の家族と今後の話をすること」は決してマイナスな事ではなく、本人を安心させるためにも残された家族のためにも必要な事だったと今では思います。